合鴨が庭を行き交う、昔ながらの農家
東京から特急「わかしお」号に乗り、房総の自然を眺めながら御宿(おんじゅく)へ。この日向かった店は、懐石料理店の『愚為庵』。庭先でグワグワと鳴く合鴨につられ、広い農家の敷地を入っていくと、馬屋、米蔵、農機具小屋が点在し、中心には200年以上も前に建てられたという茅葺きの古い母屋が。江戸時代以前からこの地で農業を営んできたという先々代までが暮らしたこの屋敷を、代替わりした現在の家主が平成8年にレストランとして蘇らせました。料理は女将さんいわく「雅流」懐石。ただし高級食材にこだわる料理ではなく、「房総で採れた山と海の恵みを、旬のいちばん美味しいときに、美味しいかたちで」が、愚為庵のモットー。厨房のスタッフには、食材を提供している近隣の農家の人々も加わり、その食材を知り尽くしているからこその味を提供しています。
さっそく『初秋の膳』をいただいてみると、一つひとつの料理に美味しさを引き立てる調理の工夫がみられます。たとえば先付けの「エシャロット味噌」。エシャロットの臭みを消すために、細かく刻んでみそと和えているのです。そのみそは地元で収穫した大豆を冬に仕込んだ自家製のもの。女将のご主人が耕す「大地(おおち)農園」で採れた朝摘み椎茸は、焼き物と刺身で。そして、無農薬のお米を使った栗ごはん。米作りの際は、庭先の合鴨が田んぼに入って(合鴨農法)活躍しているのだとか! 話を伺うたびに心が踊り、口に運ぶたびに驚きを感じました。
音楽プロデュース業から「農園」、
そして「農家レストラン」開業へ
昭和の時代に音楽プロデュース業を営んでいたご主人と女将さんご家族が、東京から生まれ故郷の御宿に移住されたのは、年号が平成へと変わる頃。お父様の発病がきっかけでした。ただ、華やかな職業や便利な都会暮らしに対して落ち着かない気持ちや、漠然とした不安を抱えていたこともあったようです。
「先行きのあてもないまま、とりあえず家族で御宿に移り住み、1年間かけて片付けをしながら考えました。花や自然に関わって生活が成り立つのならやってみようと。心がときめいたんですよね」。こうして茅葺きの民家と、6反歩の農地を元手に、まずは農園づくりをスタートさせました。
最初に取り掛かったのは椎茸の原木栽培。ご主人にとって「田舎暮らしの先生」である隣家の手助けのもと、1万2千本を山から伐採し、植菌に挑戦。――今や愚為庵の看板食材となっている肉厚の椎茸の誕生です。やがて花作りにも着手。温室栽培の面積も年々拡張していきました(現在はイチゴ栽培に切り替え)。平成13年には、無農薬での米作りを開始。翌年から始めた合鴨農法は今も続いています。「無謀なる挑戦でした」と言いながらも次々と挑戦していくご主人のバイタリティによって、「大地農園」は今の姿に成長していったのです。
農園が夫主導なのに対し、妻が女将となって切り盛りしているのが「愚為庵」。ある年、農園のシクラメンを買いに都会からバスツアーで来たお客様に食事を提供したのをきっかけに、翌年から、営業を開始。すると宣伝もしていないのに口コミで噂が広がり、マスコミの取材が殺到する人気の農家レストランに。成田空港が近いためか、海外からのお客様も訪れるようになりました。
地元の「採れたて」を新鮮なまま伝えたい。
生産者と消費者をつなぐ場に
――女将さんの考える「こころのキッチン」、幸せなキッチンってどんなものでしょう?
「やっぱり地場で採れる新鮮な食材が集まるキッチンがいいですね。そして向こうには、それを味わいたいというお客さんの顔が直接見えるキッチン」。開業当時からの「完全予約制・おまかせコース」というスタイルが変わっていないのは、そんな女将の信念が貫かれている証拠なのでしょう。
(レポート: t.mutou/2009-10-15)

茅葺きの屋根、古い母屋、庭先の柿など、古き良き時代の農家がそのまま残っている。
広さ40畳お座敷でいただいた、雅流懐石『初秋の膳』。ゆっくり落ち着いた時間が流れる。
合鴨農法で育ったお米と、この秋に採れた栗を使った栗ごはん。懐かしくて優しい味。
地元で採れたピーナッツと自家製味噌を使ったピーナツ味噌。ほんのり甘い香りが食欲をそそる。
帰りに案内していただいた浅野さんの畑にて、女将さん(左)と浅野さん(右)。