「ここきち」が選んだ旬の人にお話を伺いました。

1959年埼玉県出身。89年、東京大学大学院農学系研究科博士課程修了。食の安全問題や食と農の関係を研究し、現在は食品事業者に対する消費者の信頼向上を図るため「フード・コミュニケーション・プロジェクト」に取り組む。東大内の「食の安全研究センター」副センター長。主な著書に『食品安全問題の経済分析』(日本経済評論社)、『食の安全と安心の経済学』(コープ出版)、共著に『フードシステム学の理論と体系』(農林統計協会)など。
日本の食の風景「こころのキッチン」を守り、育てて行くために、様々な立場の、様々な人たちが、様々な活動を続けています。今回は農業問題や食品安全問題について経済的視点から分析・研究を重ね、著書を発表、また数々の講演会も行っている東京大学准教授・中嶋康博先生にお会いしてきました。

食品技術の高度化から起きる
フードシステムの問題点。

 私は東京大学の農学生命科学研究科 農業・資源経済学研究室に所属し、食料問題と資源問題の両方の研究を行っています。
 食料問題の研究では、国内外の農業生産、卸売市場などの農産物流通、食品製造メーカーなどの多くの現場を訪問して調査をしてきました。生産振興や産地形成のあり方、食品安全・衛生管理、トレーサビリティの導入など、現代の農業や食品産業が直面する課題を幅広く検討しています。
 ではまず、私の研究分野をとらえる概念である「フードシステム」について説明しましょう。
 フードシステムというのは、食料品の生産から流通・消費までの一連の領域・産業の相互関係を、一つの体系として捉える概念です。素材を生産する農林水産業から始まって、食品を加工する食品製造業・加工業があり、それを流通させる食品卸売業・小売業があり、さらには外食産業があり、それらが互いに取引しながら、最終的に消費者のもとに食べ物を提供する、という一連の流れを形作っています。
 それぞれの分野には大小様々な非常に多くの個別の事業者が関わっています。それらの日常の活動が間違いなくうまくつながることで、毎日、私たちの手元へ食品が届けられるのです。フードシステムとはこれらの事業者が組み合わさってできた超産業なのです。
 さて、フードシステムには2つの機能があります。
 1つ目は「食行動の外部化・産業化」です。人の食行動を考えると、採餌(食料を採取し食べる)、調理、摂取、消化吸収という4つに分類されますが、それらを並べてみると、その順に食は外部化していったことがわかります。
 一番はじめに位置する採餌ですが、かなり歴史の早い段階で自給自足をやめて農家や漁師に任せるようになりました。その次の段階の調理もだんだんと家庭でしなくなり、総菜や弁当やレトルト食品に代わっています。3つ目の摂取も外部化します。食べやすい幼児食や老人食はすでにかなり普及しています。最後の消化吸収だけは自分自身でなければと思いますが、それを補助するようにサプリメントが使われています。
 つまり、食行動のあらゆるものが他人に任せて外部化していくわけです。そして他人に任せてその対価を払うようになると、それを担う活動が産業として育っていくわけです。
 このようにして発展した食の産業は安全・安心に大きな責任を負うことになります。私たちは食事が自分の目の前に届くまでに誰がどのように手を加えたか分かりません。そのことが不安の原因になっています。地球の裏側から運ばれてきたものかもしれないのです。「農と食の距離が遠くなった」とよく言われますが、それは食の外部化が進んだ結果です。この動きは逆戻りしません。
 2つ目は「加工の機能」です。
 食べ物は農業、漁業、畜産業、水産業からうまれるのですが、よく考えてみるとそれは原料を提供しているだけです。
 米であれば農業で作られているのは稲という原料だけであり、そのあと脱穀して、ヌカを取り、精米して、炊飯をして、そうやってはじめてご飯という食べ物になる。牛であれば、畜産で作られているのは牛という素材であり、屠畜して、解体して、脱骨して、内蔵を取って、精肉にして、そして火を通してステーキになります。これらの「加工」というプロセスがあって、はじめて食べ物になるわけです。
 農家が出荷するときに野菜の大きさを揃えたり、カットしたり、袋詰めやパックしたりする。海で取れた魚介を港に持ってきて、冷蔵・冷凍したり、保存する。それはみな広い意味で加工です。
 もう一つ指摘したいのは、現代の食品企業の技術は、当然ながら家庭での技術を凌駕していることです。たとえばいろいろなおかずが入った持ち帰り弁当を自分で、この値段で作れるかどうかというと、絶対に作れない。
 こういう現象は早くから衣服で起きていました。戦後すぐは物不足もあり、子どもの服は母親が縫っていた。着物も自分で洗い張りして、仕立てていました。いまは既製品を買った方が安くてしっかりしていて、どんどん新しいデザインのものを着られます。それは企業の技術進歩が素晴らしく進んだので、家庭での作業はそれに追いつけなくなってしまったのです。
 食の世界でも同じことが起きています。最近の総菜や弁当はどんどんと安く、味がよくなっています。問題は安心安全が目に見えないと消費者が不安になること、そして調理の技術や食品を選ぶ能力が衰退すると、健康に害が出てくるということ。この2つが、現代日本のフードシステムにおける大きな問題点と言えるでしょう。
東京大学大学院准教授 中嶋康博さん
平成21年度「フード・コミュニケーション・プロジェクト(FCP)」成果報告会。東京大学の弥生キャンパスで年に2回行われている。詳しくはhttp://www.food-communication-project.jp/

食の信頼を失ったときに大切なのは、
正しいコミュニケーション。

 最近私が研究活動の一貫で取り組んでいるのが、フード・コミュニケーション・プロジェクト(FCP)です。これは産学官の取り組みで2009年にスタートし、今年で3年目、参加食品業者や団体は950を超えました。
 プロジェクトの始ったきっかけは、2001年のBSE問題、および2006年の食品偽装問題でした。これらによって日本において食の信頼が失われてしまったのです。食品業界にとっては非常に大きなダメージでした。安全な品を作っている企業さえも、疑いの目を向けられる事態となったのですから。そんな状況を打破するために食品業界や農水省が考えたのが、このプロジェクトです。
 基本理念は「食品事業者に対する、消費者の信頼向上を図る」で、信頼の礎である関係者間の理解を促すために、食品事業者の「行動の見える化」を図ります。そのために共通言語となる「協働の着眼点」を策定しました。これは製造業、卸売業、小売業の3パターンを作ったのですが、「いいものを作ることができ、なおかつ消費者に求められるようになる」と好評を博しています。
 このプロジェクトを通してあらためてわかったのは、コミュニケーションの大切さです。もちろん食品事業者の基本は「いいものを作る」ということ。でもいいものを作っただけでは消費者はわかってくれない。そこで必要なのが正しいコミュニケーションなのです。
 いまはこの「協働の着眼点」を6次産業(注1)へ適応できないか、考えているところです。6次産業化すると、農業を営んでいる人が、原料を作るだけでなく、食べ物を作るようになるわけですが、そうすると格段にリスクが高まります。キュウリは丸のままならすぐに腐りませんが、スライスされたものだと2日と保たない。加工に関与すれば、当然事故への対策をしなければなりません。6次産業化ではそれに対する備えが必要です。
 今後、コミュニケーションの役割はもっと大きくなっていくでしょう。食品事業者は自分たちが作ったものがどういうものなのか、きちんと相手に伝える努力が求められています。一部の企業が偽装、すり替えをすると、その他の多くの企業の基盤が揺るがされることにもなりかねません。倫理的な問題も含めたコミュニケーションのやり方を考えなければならない時代になったと感じています。

(注1)農業や水産業などの第1次産業が食品加工・流通販売にも業務展開している経営形態。農業=第1次産業の「1」と、加工=第2次産業の「2」と、流通=第3次産業の「3」の数字を使って、1+2+3=6(または、1×2×3=6)でできた造語。農業のブランド化、消費者への直接販売、レストランの経営などが挙げられる。
FCPの基本理念「協働の着眼点」。関係者による「協働の着眼点」の共有によって「情報の好循環」を促す。

大震災で痛感した
都市の近くに「農業」があることの重要性。

 東日本大震災が起きて約1カ月が経ちました。今回の震災から、私が個人的に感じたのは、近くに「農業」があることの重要性です。
 被災地では多くの方々が食べ物に困りました。農村部も被害にあわれましたが、道路が寸断され、ガソリンがない中で、農家が努力されて畑の農作物がすぐに出荷されていきました。つまり、畑というのは貯蔵庫なのです。食べ物がない恐怖を、日本中の人が一斉に感じたのが今回の震災ですが、あらためて私たちの近くに農村がないと非常時には大変なことになると思いました。
 これから都市と農村はどういう関係を取り結んでいくべきなのか、農家だけではなく、消費者も考えなくてはいけない命題なのではないでしょうか。
「こころのキッチン」ですか……。はじめに申し上げた通り、私は仕事がら農村に行くことが多いので、その農家の皆さんの顔がまず思い浮かびますね。いや、農家だけじゃない、水産業や畜産業、すべての食産業に関わっている人たちの努力が、私のキッチンを豊かにしてくれている、といつも感じています。常に感謝を忘れずに、食に向き合いたいものですね。
(2011/4/8)

授業の一貫で、株式会社キューピーの工場を学生とともに見学。